先日、ロシア人作家として世界的に有名なボリス・アクーニン氏へのインタビューが放送されていました。
そのインタビューが何とも心に響いたので、こちらでご紹介させて頂きたいと思います。
▶ロシア人作家が語る“本当のロシア”
映像は約7分。
インタビューで紹介されている“本当のロシア”ホームページはこちら。
ボリス・アクーニン(Борис Акунин, Boris Akunin )は、ロシアの小説家、日本文学研究者、文芸評論家。
本名はグリゴリ・チハルティシヴィリ(Григорий Чхартишвили)。
ペンネームのアクーニンは日本語の悪人と無政府主義者バクーニンの名をかけたもの。
“悪人”と“バクーニン”との造語とは脱帽…深すぎます。
誰に対して、または誰から見ての「悪」なのか…日本でいう「悪党」の由来になった楠木正成を思い出しました。
こんな状況だからこそ余計に響くペンネームになってしまいますね……。
1999年に上梓した研究書『自殺の文学史』は日本をはじめ古今東西の作家の自殺を縦横に論じているが、14歳の時に三島の割腹自殺に衝撃を受けた原体験が動機の一つになっているという。
2005年になってからは、すべてのジャンルを網羅する小説シリーズ「ジャンル」構想に意欲的で、SF、児童文学などを発表し始めている。
また、『墓地の物語』(モスクワ、2004)は、世界6箇所の墓地を題材に、エッセイと小説を組み合わせた特異な作品集である。
グレゴリー・チハルチシヴィリはアクーニン氏の本名です。
何回か来日の経験があり、1999年11月には、東京外国語大学主催の国際シンポジウム「『言語』の21世紀を問う」に報告者として参加。
その報告「帝国の市民から世界の市民へ」は、荒このみ・谷川道子編『境界の「言語」』(新曜社 2000)に収められている。
帝国の市民から世界の市民へ…このタイトルだけでアクーニン氏が求めているものが伝わってきますね。
インタビューの後半で、アクーニン氏はロシアの今後についてもふれています。
それが起こるか否かは別として、アクーニン氏が静かな、けれどきっぱりとその決意を口にしていること自体に、同じ人間として悲しさと切なさを感じました。
何となく、氏はいずれ帰国するような気がする……
もし私が同じ状況に置かれたとして、国の行く末について、こんなに落ち着いて責任と覚悟を持てるものだろうか。
持つしかない、ということなんだろうけど。
日々私たちはウクライナとロシアという<感情>の間で、自身の気持ちを揺さぶられています。
連日のショッキングな映像やウクライナ市民の重い言葉たちは、ロシア市民に気持ちを寄せるのはウクライナ側の「悪」なのではないかと、私の中の<人間としての感情>に訴えかけてきます。
ウクライナのロシアへの憎悪は、もう第三者が否定できないところまで来てしまっていると思います。
個人的にウクライナ市民が今後長い間ロシアを心の中で憎むのは当然だと思いますし、人間の感情としてそれを止めたくはありません。
それはあまりにウクライナ市民に対して酷すぎだし、誰かを憎むことを生きていく活力にしなければならない現実は、実際に存在するからです。
けれど同じ人間の感情をもってして、こうも思います。
日本や世界はウクライナがもつロシアへの視点とは別に、ロシアに対してやるべきことがあるはずだ、と。
人間一人一人やるべきことが違うように、同じ視点を持たずとも、同じ目的や未来のためにやるべきことが必ずある。
仕事に置き換えると、同じ目標達成のために各部署がまったく違う視点や働きをすることと似ているかもしれない…
では、それは一体何なのか。
敵対を意味するのか。
静かに時を待つことなのか。
あるタイミングで手を差し伸べることなのか。
個人的に、日本だからこそ説得力のある動きを政府にはてほしい。
とくに「世界唯一の被爆国」「戦後・震災からの復興」という点は、私たちしか語れないし、むしろ国際社会に対してその責任がある。
これが武器を持たない私たちの戦い方や力であって、もし本当の武器を持ったらその瞬間にこれらの力は消えると私は思ってる。
いずれにしても難しい判断なのは変わらないけれど、見誤らない鍵はたった一つ。
市民の声を聞き続けることだと思います。
その選択は未来のロシア市民、そして未来のウクライナ市民の両者に、そして世界の市民に益するものでなければならないからです。
ちなみに私が思う“本当のロシア”の一つは、やはりクラシック音楽でした。
チャイコフスキー、プロコフィエフ、ラフマニノフ、リムスキー=コルサコフなど、ロシアだけではなく世界を代表するロシアのクラシック音楽は、
他に替えの効かない(もちろん全ての音楽がそうですが…)独特で雄大な旋律を誇っています。
▶Russian Classical Music
クラシック音楽に詳しくなくても何となく「ロシアっぽい」と感じるのは比較的容易な気がします。
ロシア音楽やロシア文学にも通じますが、私の思う“本当のロシア像”は「静寂という寡黙さのなかに、たくさんの思いや言葉を抱いている人たち」というものでした。
西欧諸国と比べて、この点は日本の感受性とも似ているなと感じています。
けれどその一方で、歴史的に見れば破壊や残虐性のインパクトも確かにあり、
何をもって「本当の」と定義するかは、良い人もいればそうでない人もいるという抽象的な捉え方より、
やはり私たち市民の<善を信じ、求める心>に左右されているものだと思います。
だからこそ各政府は、今度こそ私たちを嘘でかき乱さないでほしいのだけど。
今回のアクーニン氏のインタビューを聴いて、本当のロシアを憂い、そしてそれをあきらめないロシア市民がいる限り、
私たちもまた今後のロシアという国やロシア市民をあきらめてはいけないのだと再認識させられた気がしました。
“本当のロシアはチャイコフスキーやトルストイ、チェーホフの国”
チェーホフ好きの私にとって、この言葉はとても力強く響きました。
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ここまでお読みいただきありがとうございました!
今後もインドア趣味を中心に、楽しいことや学べることについて書いていきたいと思いますので、お時間があるときにおつきあい頂ければ嬉しいです♡
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