2022年3月31日にドバイ万博2020が閉会した。
コロナ禍のなか、延期や様々な調整などあったと思うが、ドバイ政府が掲げる目標来場者数を達成し、好評のうちに終了したようだ。
なかでも日本は展示部門で金賞を受賞したという嬉しいニュースもあった。
有難いことに入場予約もとても多かったらしい。
ウクライナ危機の真っ只中ということもあり、ニュースではあまり大きく取り上げられなかったけれど、
この時期だからこそ、この受賞には関係者でも何でもないのにジーンときてしまった。
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オープニングセレモニーでは、大好きなインド人歌手シュレヤ・ゴシャルがパフォーマンスしていて、それもちょっと嬉しかった。
閉会セレモニーではこれまた私の大好きな歌手、クリスティーナ・アギレラがマイクをとった。
この規模の国際舞台パフォーマンスは久しぶりなので、ファンの一人としてはやっぱり嬉しいものだ。
けれど今は心の底から喜ぶこともできなくて、とりあえず「どんなパフォーマンスだったのかな…」ぐらいのテンションで気持ちを抑えて見てみた。
▶Christina Aguilera - A Million Dreams
結論からいうと、とても素晴らしいステージだった。
それも私が見たアギレラ史上、最も記憶に残ったと言っていいぐらいに。
アギレラにはめずらしく“イノセント”で、静かに決意を示すようなまっさらのパフォーマンスだった。
そしてそれがストレートに心へ響いた。
普段のアギレラなら、もっとエモーショナルに感情を解放する。
表情や身振り、ロングトーンなど、あらゆるところに自らの声で「演出」を施すのだ。
けれど今回、その「演出」をまるで感じなかった。あるいはそれを最大限抑えていたように思う。
パフォーマンス中の笑顔も、歌う視線の先でさえ、明らかに「見せる」パフォーマンスとは違っていた。
人によってはこれでも十分にエモーショナルだろと思われるかもですが…
なぜそう見えたかというと、これは完全に個人の予想なのだけど、
アギレラ自身、今の情勢に思うことはたくさんあったのではないかと思う。
実際彼女はチャリティー精神あふれる人で、WFP大使やコロナ禍に大規模な寄附援助もしている。
そのさなか、煌びやかな舞台に立ち、この『A Million Dreams』を歌うということに、きっと彼女自身も何かしらの意義を探していたはずだ。
“無数の夢、それは世界を創るためにある”
この歌詞をアギレラが高らかに歌う一方で、恐ろしい暴力によって破壊される世界があることを、私たちは知っている。
まさしく世界を創ることを夢に抱いた子どもたちが、大人の世界によって黒く灰色に壊されていく。
それらの権力は、まわりまわってこの万博やたくさんのショー・ビジネスにも関わっていることだろう。
そう考えると、光輝くステージも、煌びやかな花火も、たちまち私には白けて見える瞬間がある。
綺麗な花火でさえ「もとは火器武力から生まれたものだったなぁ…」なんて、悲しい見方をすることだってできる。
でも、アギレラが歌い続けるわけは、世界を無理やり理解して自分のなかへ収めるためなんかじゃなく、
絶望的な世界に隠れている小さな勇気や見えにくい優しさ、そして嘘みたいに輝く<希望>を感じさせるためなんだろう。
その絶望から立ち上がれるのはたった一人かもしれない。
その人はこの歌を必要としていないかもしれない。
でも、そんなことは重要じゃなくて、
歌い続け、訴え続けることで生まれる<力>をミュージシャンは信じているのだと、このパフォーマンスを見て素直にそう思った。
このパフォーマンスを見た直後、ある報道番組の情報で、現在のアメリカ軍戦車の凄惨な機能を知った。
戦車を破壊する=乗車している兵士の命を奪うことになるぐらい勿論知っていたけれど、よもやそこまで…と思うほど惨く悲惨な状況で兵士たちが死んでいくとは想像もしなかった。
とてもじゃないが、その残酷さ凄惨さは文字にできない。
お察しのとおり、私の感情はめちゃくちゃのぐちゃぐちゃだ。
けれどだからこそ理解できるのは、人間は美しく醜いということだった。
そしてこれは真実だと思う。
自然や動物を愛でる一方で、同じ人間に対して信じられない方法で命を奪う。
美しい歌詞を紡ぐ口で、人を騙し誰かを呪う言葉も平気で使う。
そんな性質をもった私たちが、何十億もの違うストーリーをもって存在し、たった一つの地球に生まれ死んでいく。
そのうちの誰も生まれる国や、過ごす時代は選べない。
選ばれた場所で懸命に命を生きる。
このことだけが、目の前に広がっているたった一つの現実だ。
そのなかには良いことも悪いことも巡っていて、影響され反発し合い、
一人一人がこの世界に関わり、この世界を創っている。
そして私はというと、頭のなかでは理解し、知っていたはずのこの事実に
なぜか今、圧倒されている。
煌びやかなドバイと、色を失ってしまった戦場のウクライナ。
どちらも私たちが関わり、作った世界だ。
この事実がとても不思議で、とても悲しく、今はやりきれない。
それでもその先に見えるものは、どちらも優しさであるようにと願ってしまう。
そんな傲慢な願いを抱く私たちは、確かに美しくて醜いのだろう。
そんなことを感じたアギレラのパフォーマンス。
これを見て、私の心は少しだけ落ち着き、
同時に胸の奥のどこかが疼き、高揚していく気がした。
2025年はいよいよ大阪万博だ。
きっと少しずつ平和に近づく世界で、幸せな文化の一つ一つを、ぜひこの目で見てみたい。
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ここまでお読みいただきありがとうございました!
今後もインドア趣味を中心に、楽しいことや学べることについて書いていきたいと思いますので、お時間があるときにおつきあい頂ければ嬉しいです♡
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