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米よ、聞いてくれ。 ~私たちは平和思考だけで食料危機に立ち向かえるのか~

 

小麦の輸入危機が聞こえて久しいが、それとは別に(でもそれも含めて)最近我が家では白米+玄米の家庭内消費を1割ほど上げるようにした。

日本の食料自給率の低さにはうっすらと(そりゃもううっすらと)危機感を持ってはいたけれど、最近まで何の対策もビジョンも持たず生きてきてしまい反省していたとこだったのに……

本当に時は待ってくれないもので、あろうことか今年に入り【食料安全保障問題】という、無理ゲー並みに問題がレベルアップ。

この現実を目の当たりにし、いよいよ真面目に考えなきゃいけないのでは…と思ったのである(遅)。

 

ということで、今回は自身が食生活において日頃から気を付けている「ささいな事」を中心に、現在の自分をとりまく食料事情と自分のなかの「平和思考」についてまとめていく。

この問題に関わらず全てのことは表裏一体だと思っているので、自分が取り組んでいることがある面ではマイナスになっていることも十分承知している。

それでも自分で優先順位をつけるとしたら「こちらを大切にしたい」という思いから、実行に移してきたことだ。あくまでも個人的な見解として読んでいただければと思う。

※以下の内容は個人的実感によるもので推奨しているものではありません。もし実践する場合は、健康面など自己責任でお願いします。

 

 

国内産や応援したい企業の製品を買う

 

米の消費率を気持ち上げてみた

週一でパスタを食べていたのだが、その頻度を少しずつ減らしてみようと実行中。

週末の昼は簡単調理で済ませたくパスタを重宝していたのだが、経済面やそもそもの供給率がしっちゃかめっちゃかになり、せめて家庭内だけは舵とりをしたく、パスタ調理を減らした。

今は二週に一度、または週一以上のスパンをとってパスタの力を借りている状態だ。

パン類も買う量や頻度、どちらかを半分にしている。

その分、米料理が主体になるわけだが、最近は玄米も購入するようになり食感の違いを楽しむようになった。

人間習慣を100→0にすることは不可能に近いが、100→80~50は何とか出来る人もいるんじゃないかな、なんて思う。

もちろんストレスが貯まったときのために100→100という選択肢を残しておくことも大切だよね。

 

国内大豆製品を買う(豆腐・納豆・豆乳など)

個人的に危機感を持っているのは、国内大豆の生産量だ。

タンパク源として健康にはかかせない大豆タンパクだが、その国内生産は全体の2割

▶特集1 大豆(2):農林水産省

歴史的に見ても肉や魚が手に入らない場合、人々が豆で凌いできた印象が大きかったため、これにはけっこうショックを受けた。

戦時中もヨーロッパでは豆スープの印象が大きかった。

いざとなったときに豆さえ手に入らないのかと思うと、多少高額ではあっても国内大豆製品を買うようになった。もちろんその分、違うところで節約はしている(後述)。

 

国内精肉を買う・ミートフリーデイを作る

大豆と同じ理由で国内精肉を買うように。輸送にもエネルギーかかってるとか、考えだしたら頭が爆発しそうになるがそれだって現実。

国産需要ありますよ、という態度を示さないとなーなんて考えてる。

 

ミートフリーデイは週一から二週に一度で設定している。というか具体的なスパンを決めなくても「何が何でも肉料理出さなきゃ」という意識を頭から消し去っただけである(怠惰の極み)。

個人的には年齢や健康的にもこの頻度なら問題なく、大豆製品や卵で補えばこれと言って気にもならなかった。

歴史的に見ても、江戸時代にタンパク質はごく限られた摂取量だったはずで、たかが数百年でDNAが劇的に変わることもなかろうと良いように楽観視してしまっている。

 

冷凍野菜の購入をやめた

私は調理が嫌いだ。とくに「切る」という行為は最高に好きじゃない。

水ハネするし洗い物も増えるし、できればカットされ保存のきく冷凍野菜を喉から手が出るほど使いたい。事実、少し前まではバリバリに使っていた。

けれど、冷凍野菜のほとんどは海外産だ。

もちろん応援できる国だったり企業だったりの場合は良いのだが、せっかく国内で作る能力があり実際に売られているのに、自分のちょっとした欲(楽)だけでその選択肢を排除するのはいかがなものだろうか、と考え直した。

以来、体調不良の時を除き、なるべく国産野菜を買うようになった。

とは言え、相変わらず調理は嫌いだ。

ただそんな個人的なことより、食べられるものを自らの手で失くしていくということの方が私には恐いように思えたのだ。カット野菜もフル活用してしまっているが。

 

海外企業でも応援したい企業は買う

“この商品(企業)、私の望む未来に残っていてほしい?”

毎回意識しているかと言われたらそこまでではないけれど、頭の片隅に置くようになった考え方だ。

美味しい・便利・企業理念…考えることが多くて日常でそんなこと考えてらんないよ!というのもご最もなのだが「何となく」買うことは無くなったように思う。

もう少しだけ私たちが「買う理由」を考えながら生活すると、ちょっとは良い消費サイクルが生まれるんだろうか。

かと言って、市場的にも歴史的にもブロック経済はマジで良いこと一つもないので、イデオロギーだけで選択するには悩ましい手段ではある。

 

菓子類を買う分、ちょっと高価な基本食材を買う

前述した国内大豆製品購入による “しわよせ” がこれだ。

実際に実行してみると、私にとって甘味類やスナック類はこれと言って必要でないことが分かった。むしろ食べていない時の方が、体調が良いことに気づいてからは尚更。

もちろん、ムシャクシャしてチョコ一気食いとか、炭酸飲料ガバ飲み、アイスかじりつき…とか一切ないと言ったら嘘になる。

どんなもやり方にも一長一短あって、それを均そうとすればどこかに負荷をかけなければならない。

SDGsや今回の経済制裁うんぬんも、その負荷が個人的にどこまで不快かを見極めるのが大切だと思っている。継続できなければ意味がないし、それ以上に不快な記憶として心に残ってしまうからだ。

だからこそストレスがないときに甘味接種を常態化してしまうより、年に数回のチートデイを設定した方が、経済的にも心の負荷にも私には合っていると思った。

 

ゴミ・環境に配慮する

 

プラスチック包装の製品を選ばない

「プラだけが悪」という今の世論は疑問に思うが、純粋にプラゴミはゴミ袋に入れたときにかさばるものが多い。

小包装の製品を避ける、とかでもゴミを出すペースはかなり減った。

プラ製造関係に働いている人たちの生活もあるけれど、やはり私はプラ製品に使う労力よりも、それをほかの経済や生産活動で補ってみんなで生き延びたいなと思うのである。シンプルに個人的な優先順位に従っている。

 

捨てる部位を減らす

基本的に食材は野菜も肉・魚も形そのものが無くなるように限界まで使う。

調理内容によって賛否両論あると思うが、思い出してほしい。私は料理が嫌いなのだ(えばるな)。

調理行程は少なければ少ないほどいいし、生ごみも出なければ出ない方がストレスにならない。

なので、ほとんどの野菜は皮のまま調理するし、芯も細かくして(ここでも、みじん切りとかそんな面倒なサイズにはしない)食べるし、ヘタ周辺の実(?)の部分も切り落として食べる。

魚の皮はパリパリ焼きにして食べられるし、鳥皮(苦手)も同じくパリパリ焼きにし、そのときに出た油で野菜調理をしている。

料理自体を楽しんでいる人から見たら絶句ものかもしれないが、このやり方で生ゴミは劇的に減った。やめられない。

 

野菜ゴミは乾かす

ヘタ部分のようにどうしても出てしまう野菜ゴミは、吸水性の良い紙を敷いた上で一週間ほど乾燥させる。

イカやメロンなどの瓜ものでなければ、普通は2~3日でカラカラになり萎んで小さくなる。

こうすることで少しでも燃えやすくなるという話だが、シンプルにゴミの面積が小さくなるというのはやってみる価値があるな、と感じて実践している。

野菜だけであれば夏や梅雨の時期でも虫はやってこない。動物性はNG。

ちなみにコンポストは常に検討しているけれど、賃貸住まいなので万が一にも虫が出てきてしまったときに申し訳ないのでなかなか手が出せない。

電動コンポストも「結局電力使うよな…」と二の足を踏んでしまっている。

 

ルールではなく方針を決める

これらのことを実行する際には夫と二人で本当に出来るかどうかを話し合った。

とくに食生活は個人的な満足に違いが生じやすいこともあり、私にとっては地球環境や食料危機と同じくらい食べ物の恨みだって恐い。

とりあえず私も夫も「まずはやってみなきゃ分からん」という人間なので、やってみてダメなら戻す、大丈夫そうなら何となく続けるというスタンスで今現在も続けている。

この「ルールを決めるのではなく方針を決める」というのが私たちには合っていたように思う。

 

自分が大切だと思っていることが相手の思考ではそうでもなかったり、逆の場合も多くある。

けれど細かいことを統一するよりも“環境を気にしながら生活してます”ということを認識し合うだけでも、色々と気づきになるし勉強にもなっている。

 

イデオロギー VS 現実的世界経済

それと同じで今回の小麦や食料危機も、もう少し世界全体が柔軟にならんかな…と思ってしまう。

小麦が必要で小麦にしか慣れていない国へ優先的に…とかシンプルに考えてしまう。

日本人が米を奪われるわけでもないし米で満足できる人は米中心にしたりして、もう少しだけ小さな「我慢」が、誰かの生きる未来につながる世界になったらいいのにな。

こういう点のみに着目してしまうと、現状の資本主義経済ってすごく不便だし血も涙もない。

でも資本主義だから発展も改善もできるのであって、やっぱりあきらめたくはないというのも本心。結局どんなイデオロギーだろうが、人間を活かすも殺すも人間自身だ。

 

それにしても、平和なときに教えてもらった「分け与え合う世界」ってどの世界線のことだったのか…。

理想と現実は違うなんて間違っても言いたくない私ってば、やっぱりまだ青二才なんですかね?(汗)

未だに信じちゃってるんだけどこっちで合ってますか~…と、人知れず焦っているのも本音なのである。

 

米よ、聞いてくれ

 

単純な思考ではあるけれど、やっぱりこうなった以上ほかの代替炭水化物として太刀打ちできるのは米だ。

▶米の輸出 前年比15%増 2021年|JAcom 農業協同組合新聞

 

事実需要も広がっていて、米由来の商品がバンバン開発され、国内のコメ産地はなかなか活気づいているらしい。

米粉パスタはグルテンフリーであることが世界の人々の健康志向を刺激しているし、甘酒も東南アジアを中心に続々と商品展開。

もちろんこれも一長一短で小麦とは違ったメリット・デメリットが出てくるだろうが「みんなで生き残りたいよね」という商品や企業は必ずテコ入れをしてくるし、ただでさえ食に真面目な日本人、ある程度の問題は解決するだろうと思う。

 

震災に対するノウハウと同様に、日本は世界の流れとは違う「いい意味で空気を読まない技術や感性」を、とにかく出し惜しみせず世界のために使っていってほしい。

強制したり目立つ必要はないけれど、必要とされる国になればその国は勝手に富むのだから。いや、もう人口減少で無理ゲーに近いかもしれないが…。それはまたの機会にでも。

なんて、駆け引きや交渉の上手い下手を鑑みず(最早そこには期待できないというのもある)「お花畑的平和教育」を受けた私は思ってしまうのである。

関係ないけど、ずっとこのタイトルが好き。米に私の愚痴を聞いてもらいたかったのかもしれぬ…。

 

おまけ。

ついつい悲観的になる日常のなか Will.I.Am のメッセージは案の定心に響く。


www.youtube.com

esta es la canción perfecta para este momento... El optimismo y la positividad es la energía que el mundo necesita...

まじで必要なときに必要なこと言ってくれる、彼のタイミング能力凄すぎる。シャキーラもずっとかわいいわね~~~♡♡

 

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ここまでお読みいただきありがとうございました!

今後もインドア趣味を中心に、楽しいことや学べることについて書いていきたいと思いますので、お時間があるときにおつきあい頂ければ嬉しいです♡

 

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