いつからかやめてしまったのですが、ある時まで歌詞や小説、映画、漫画、インタビュー記事などから「これは」と思った言葉を抜粋して書き残していた時期がありました。
ある日部屋を整理していたら、それらを記録していた今となっては太古のUSBを発掘しましたので、せっかくですからこちらのブログにてまとめてみたいと思います。
今回は私の大好きな本の一つ、
『図書館の魔女』(高田大介著) より、
本の紹介と合わせて、自分が気に入っている文章&言葉を残していきます。
図書館の魔女とは
図書館の魔女とは、2013年に発売された高田大介氏による長編ファンタジー小説。
現在はハードカバーで上・下巻が、文庫版では1巻~4巻が発売され完結しています。
総ページ数は上巻658ページ、下巻810ページ。
売上は32万部、第45回メフィスト賞も受賞しています。
発売時のキャッチコピーは……
剣でも、魔法でもない、
少女は“言葉”で世界を拓く。
本を愛し、言葉の力を信じるすべての人に!
ファンタジー界を革新する大作、ついに登場!
各界からの反響も大きく、著名な翻訳家である大森望氏(筆者も大好きな翻訳家さんです)、文芸評論家である北上次郎氏なども驚きの声を寄せています。
また2015年に続編の『烏の伝言』を出版。同じく2017年には文庫版で上・下巻も発売されています。
著者が言語学者
著者の高田大介氏は、小説家であり言語学者です。
1968年に東京で生まれ、早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。早稲田大学、東京芸術大学などで講師を務めたのち渡仏。
現在はパリから250kmほど離れたトゥール郊外にお住まいです。
高田大介〈異邦人の虫眼鏡〉 Vol.4「フランスの車窓から」|WEB別冊文藝春秋
この本を読んでみると、高田氏が“言語学者”ということが、この物語で非常に大きな影響を及ぼしていることがわかります。
ある場面では言葉の重要性を、またある場面では言葉を扱う人間の脆さ・危うさがひしひしと感じられる内容になっているのです。
言葉が何たるかを研究し熟知しているからこそ、ファンタジーという「何でもできる」世界のなか、私たちにも共通する「言葉」こそ世界を拓く第一歩なのだという、作者の強い思いを感じます。
主なあらすじ・登場人物
ここでは簡単に物語のあらすじ・登場人物についてご紹介します。
あらすじ
『図書館の魔女』は一ノ谷という小国を中心に、様々な国を旅しながら、大国から押し寄せる戦をどう回避し、いかに和平への道を繋ぐか…という、一言でいえば【外交】をテーマにした物語です。
鍛冶の里に生まれ育った少年キリヒトは、王宮の命により、史上最古の図書館に暮らす「高い塔の魔女(ソルシエール)」マツリカに仕えることになる。
古今の書物を繙き、数多の言語を操って策を巡らせるがゆえ、「魔女」と恐れられる彼女は、自分の声を持たないうら若き少女だった。
図書館のある一ノ谷は、海を挟んで接する大国ニザマの剥き出しの覇権意識により、重大な危機に晒されていた。
マツリカ率いる図書館は、軍縮を提案するも、ニザマ側は一ノ谷政界を混乱させるべく、重鎮政治家に刺客を放つ。
マツリカはその智慧と機転で暗殺計画を蹉跌に追い込むが、次の凶刃は自身に及ぶ!
外交は言葉であり、知識です。
相手の利益とこちらの望み、そして国の大小によって生まれる価値観の違い、あらゆる根回し、刻々と変わる選択肢…。
マツリカは自身のあらゆる言葉と知識によって、様々なケースを想定し外交を重ねていきます。その理由はただ一つ、いかなる理由であっても戦争を起こさせないためです。
まるで、現在の私たちが読んでも何かを感じることができるようなストーリー。
読んでいるうちに、世界の仕組みと向き合い、それでも言葉の力を信じて進み続ける【一ノ谷メンバー】にきっと惹きつけられていくはずです。
登場人物
断言しますが『図書館の魔女』には魅力的な登場人物しかいません!
長大なストーリーを何とか読み進められたのも、ひとえに一人一人のキャラクターが非常に魅力的だったから。
さらに各人物の【名前】に着目してみると、それぞれがとても印象的。
読み返すと「確かに…」となる納得の意味もあり、読後には言葉の一つである【名前】についても感慨深く感じるかもしれません。
<一ノ谷>
主人公 マツリカ…
現図書館の魔女である少女。生まれつき声をもたない。
なかなかに横柄な態度を見せるが、世界の全てを知っている程の膨大な知識を持つ。その一方で「世界を知り続け、学び続けよう」とする確固たる意志もある。
主人公 キリヒト…
鍛冶の里出身の少年。
ある日、マツリカの手話通訳となることを命じられ、彼女の「声」となり、一ノ谷や世界の行く末に対峙することになる。
真面目な性格で任務にも忠実だが、不遜で掴みどころのないマツリカに振り回されることもしばしば。
ハルカゼ…司書
キリン…司書
カシム…門衛の長。
イラム…離れの家刀自
ヒヨコ…元老院の一人
<その他 勢力国>
双子座…ニザマ帝国の刺客
コダーイ・ヤーノシュ…アルデシュ軍大佐
心憎い設定なのが、主人公であり言葉を“操る”と言われているマツリカには「声がない」ということです。
読者はマツリカの言葉をもう一人の主人公キリヒトの手話、あるいは彼の肉声によって聞くこととなります。
言葉とは「音」でも「文字」でもない、という作者の強いこだわりが伝わる設定です。
キリヒトについては、物語の終盤にある秘密が明かされます。思い出すと、今でもじんわりと心が温かくなる、作中でも屈指の名場面です。
文字が多く、途中でリタイアしてしまう読者も多いとのことですが、ぜひこのラストを読むために前半の前半は耐えてほしい…(涙)
私が心に残したマツリカ語録
この物語には言語、科学、歴史、宗教、経済、文化、地層、宇宙、哲学、軍事、記憶、群集心理など、ありとあらゆる世界の事象が「言葉」でもって紡がれます。
専門的な知識の応酬に、上巻の前半戦では「予想以上に凄まじい本をとってしまった…」とページを閉じかけましたが、何とか食らいつき、結果最後にはすべてが意味のある幕開けだったことに感動を覚えたほどです。
なかでも“図書館の魔女”である少女マツリカの言葉は、自然で誇り高く、人間的な生命力に満ちており、今読み返してもその力強さ・美しさに惚れ惚れしてしまいます。
禁書について
“惰弱な精神は検閲と仲がいい。”
高田大介『図書館の魔女(下巻)』よりマツリカの言葉 禁書の無意味性を説く場面から
蔑みをもって潔く放たれた言葉です。
語呂といい単語のチョイスといい、マツリカ様本当にかっこいい!
検閲は対象を互いに知ろうとすることを怠ったり(惰)、必要以上に対象を恐れること(弱)で発動されます。
禁書や発禁本はその本自体に罪はありません。
読み手が危険思想に陥ることが心配ならば、まず読み手の自律や知識をしっかり教育するべきです。
すべての情報をまずは受けとめ、個人が人としての良心や倫理観で選び、あるいは捨てる。そのために教育があるのだと思います。
“本物の智慧、本物の技術、そこにこそ本物の生きた言葉が蓄積し、本当の魔術はこうしたところに実現するだろう。
そしてそのための試行錯誤を書き留めた本物の書物が著され、これは大事に受け継がれていくだろう。曖昧なところなどない、本物の奥義の書物が。”
高田大介『図書館の魔女(下巻)』よりマツリカの言葉 禁書の無意味性を説く場面から
禁書になどしなくとも「本物」は常に選ばれ続ける……
曖昧なところなどない、本物の奥義(=人間が培った、失敗を含む知識や技術)、というのがまた人間への愛情や尊厳に溢れていて、かっこいいんですよね。
魔術や錬金術などの文脈がなく理由が説明できない技術はいずれ淘汰されていく、残らないと言い切っています。
そこには人間が技術に刻むべき努力や信条、他者への愛情が存在しないからです。
選んだ責任について
“運命だろうと、宿世だろうと、生まれだろうと、マツリカにはそれらは従うものではありえなかった。意志によって、決断によって、人は運命や宿業を超えていくのだ。”
高田大介『図書館の魔女(下巻)』より ヴァーシャの双子座としての運命を否定するマツリカの言葉より
望んでやったことかは知らない。でも自分で選んでやったことなんだから、自分から謝るんだよ。許してもらえようが、もらえなかろうが。
高田大介『図書館の魔女(下巻)』より ヴァーシャの双子座としての運命を否定するマツリカの言葉より
運命や宿業を「超える」という言葉が最高に好き。
目に見えない導きや不思議な力も否定はしない(こういうところも好き)けれど、それらの価値よりも、自らの選択で掴んだものの方が価値があるとマツリカは言います。
だからこそ半端な覚悟で選択をしてはならず、その選択には個人の心情や理由に留まらない「大きな責任」が生まれると伝えたいのかもしれません。
選ばなかったものについて
“どれほど目の前の世界が広大であっても、一度に手に取る書物は一冊きり、一度に目で追うべき行文は一本きり、辿るべき道はその都度ひとつだ。
目の前にいくつの道が開けていても、二つの道を同時に歩むことは出来ない”
“だから図書館は人の命運に選択を迫る。人はそこで知ることを覚え、知りえぬことを悟る。選ぶことを学び、選びえぬことを知る。
そしてひいては、高い塔で人は、生涯を選ぶ。”
高田大介『図書館の魔女(下巻)』より キリヒトや衛兵、ヴァーシャらに語りかけるマツリカの言葉
人間にはちゃんと限界がある、と言うマツリカの一連の言葉には、だからこそ人は学び続け、他者を理解しようとするという人間らしい矜持を感じます。
知りたいという姿勢は崩さず、けれどすべてを知ることは出来ないという事も受けとめる。限界があると知ることと、あきらめることは、その言葉の纏う背景が全く違いますよね。
そして、選んだことよりも「選ばなかったこと」または物理的に「選べなかったこと」にも焦点をあてて生きていく。
これらの言葉は、本書のなかで一番心に響いた言葉です。
選んできたものが今の自分を形作っている、というのは確かに分かりやすいのだけど、選ばなかったものも自分を自分たらしめている大切な要素。
この「選ばなかったもの」を振り返ってみると、今までとまったく違う自分像が浮かびあがってきそうです。
挫折と後悔について
“自分を責めてやしない。だが心残りはある。”
高田大介『図書館の魔女(下巻)』より 言葉が届かなかった者たちへのマツリカの言葉
完璧超人に見えるマツリカ様でも、過去や過去の人を思い返すことはあります。
けれどその際に自分を責めず「心残りがある」という言葉で振り返ることができるのは、前述した「その時の選択」にきちんと責任をもっているからでしょうか…
自分本位の反省に留まらず、その事象やその場にいた人物、環境を含め、振り返ることの出来るこの言葉も好きです。
言葉の正体について
“お前たちは言葉を手段か何か、道具のようなものと考えていたんだろう。
だから「道具」を奪えばこと足りると考えたんだろう。黙らせられると考えたんだろう。
それが最初にして最大の踏み外しだった。
言葉は何かを伝えるためにあるんじゃないよ。言葉そのものがその何かなんだ。
言葉は意思伝達の手段なんじゃない。言葉こそ意思、言葉こそ「私」…”
高田大介『図書館の魔女(下巻)』より ヴァーシャの問いに対するマツリカの返答から
言語はコミュニケーションの一部だと言われます。もちろん、それも言葉としての一つの在り方ですよね。
けれどマツリカの言葉からは、言葉を司る唯一の存在である人間としての、強さ、優しさ、難しさ、それらを超えた「誇り」が強く強く伝わってきます。
とくに“言葉は何かを伝えるためにあるじゃないよ”というのは、考えてみたら確かにそうで、とても感銘を受けた一文でした。
自分のなかに留めることのできる気持ちや感情だけでなく、【私が】【あなた(誰か)に】【伝えたい】という意志があるからこそ、言葉は生まれる…。
自分一人きりで良いのなら、言葉は必要ないのかもしれませんよね。
そして意志によって発された言葉は、他者との関わりを望み、共に生きていきたいと願うあなた自身の存在意義なんだ、とマツリカ様から教えられている気分になります。
悲しいことだけど、言語は奪われ封じられる可能性もあるかもしれない。
でも私たち自身でもある【言葉】は、どんなやり方であっても本当の意味で奪われ尽くされることはないのかもしれません。
言葉に自分自身が宿る世界なら…
さて、皆さんにはマツリカの言葉はどう響いたでしょうか。
ふりかえってみると、近年は政治家(日本だけじゃなく)の失言やネットでの誹謗中傷、もしくは“火消し”など、言葉をとりまく状況はあまり穏やかではありませんでした。
全てがそれらとつながっているとは言いませんが、2022年の悪夢のような世界の暴走も、私にはこれらの事とはまったく関係がないとは言えないように思います。
まるで、言葉を使う私たちがあまりに貧弱になってしまい、人間らしい意志や責任を言葉に宿せていないように感じるのです。
だから外交も裏取引きも上手く機能しなかったんだろうか…なんて思ったり。
スピリチュアルな話ではありません、念のため!
言葉に宿るのは「私」という自分自身。
せめて自分の意見が求められる場では、少しでも意志と責任を感じられる言葉を話すため、その素地となる感情を育んでいきたいと思う、今日この頃なのでした。
マツリカ様、厳しくも愛情いっぱいで、希望ある言葉たちをありがとう。
有名ですがこちらの音楽も『図書館の魔女』のお供にどうぞ…
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ここまでお読みいただきありがとうございました!
今後もインドア趣味を中心に、楽しいことや学べることについて書いていきたいと思いますので、お時間があるときにおつきあい頂ければ嬉しいです♡
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