読書の秋となりました。
シーズン関係なく本を読むのは好きなのですが、やはり肌寒くなり温かい飲み物傍らに一つの世界へ没頭できるこの季節は、活字好きにとって興奮と安らぎが織り交ざる特別な時間かもしれません。
改めて振り返ると、いつの間にか本と接する場所はたくさんあることに気づきます。
図書館、電子図書、ブックカフェ……そしてもちろんほぼ普遍的な存在になっている本屋さん。
今回はそんな本屋さんに纏わる自身の思い出と、本屋さんで出会った記憶の断片にある本(私にとって「大切な本」とはまた違った価値の本)について、いくつかご紹介させてください。
幼少期…ワクワクしすぎて本屋さんで腹痛
私にとって一番最初の本屋さんの思い出と言えば、実家から自転車で10分程の幹線道路沿いにある中型の書店です。
今思えば海外にあるようなオシャレなワンちゃんのロゴマークで、今でもその看板の色味や高さは何となく記憶に残っています。勝手にチェーン店かと思っていましたが、今ではそれを知る術もなくなってしまいました。
子どもだった私にとってこの本屋さんはなかなかの広さを誇っていて、広大(?)なエリアに高い場所から足元までびっしりと本が敷き詰められた空間に、なぜかドキドキと興奮してしまい、けっこうな割合で腹痛を催していました(笑)。…本屋って落ち着く場所じゃないんか。
両親がこの本屋に行くというときは必ずついて行ったし、自転車を手にしてからは幹線道路の脇の歩道を爆走し(道が広いから気持ちいいんですよね)その本屋に通っていました。
本屋と小学校が目と鼻の先だったので、下校中に本屋へ立ち寄れないことも腹立たしく、一度家に帰ってから愛車のペダルを漕いでまた来た道を本屋へ…。
そんな面倒な手続き(?)も興奮材料となり、その頃の本屋は私にとってなかなかにエキサイトな場所でした。
ここでよく買っていたのはモロ少女漫画。子どもだからね、キュンキュンよ♡
漫画変遷についてはいつか別記事で書きたいな~と思っております。
ですが、この本屋は私が中学にあがるかあがらないかで、あっけなく閉店してしまいました。
青春期…反省と感謝。友人と笑い倒した日々。
興奮する場所が奪われた私ですが、程なくして救世主が。しかも二人。
なんと大型書店と中型書店がほぼ同時に近所でオープンすることになったのです。なぜこんな場所に二店舗も…?という疑問は持ちつつ、当然どちらにも入り浸る日々が始まりました。
中型書店はオリジナル色の強い本屋さんで、書架の見やすさや選書にもこだわりを感じ、とにかく落ち着く場所でした。こちらの本屋さんについては後述します。
一方の大型書店は全国的にも名のとおった本屋さんで、さすがの品揃え。
けれどこの本屋で最も記憶に残っているのが、気の置けない友人と笑い転げた日々です。
その友人は合唱部の一員で、苦楽をともにしたビジネスパートナーや戦友のような存在。きっと今でも同じ目標を設定したら、信頼して共に進めるような気がします。
そんな私たちは笑いのツボもよく似ていて、部室の傍らで即興のミュージカルをやったり、演奏の進行や演出を考えたり、気難しい顧問への根回しを練ったり…良い知恵も悪い知恵も共有し、よく笑いあっていました。箸が転げても笑う年頃…とはよく言いますが、まさにそんな状態。
帰宅方向がちょうどこの本屋を起点に分かれるため、何となくまだダラダラと一緒にいたい私たちは、よくここで同じ本を読んでは笑い転げていたものです。
なかでもこの本は短いエピソード集でテンポもよく、ページをめくる度にこれでもかと笑いました。
今読んだら「スン……」かもしれないけど、当時のお笑いセンサーは何となく今でも似通ってると思う。
でもさ、本屋で笑い転げたらあかんよ……!
今となっては猛省しているのですが、とくに注意するわけでもなく放っておいてくれた店員さんには別の意味で感謝しています。
ここで注意されていたらまた別の思い出になったような気がするし、友人と息をきらして笑いきったこの一瞬があるから、彼女のことを信頼できるようになった気もする。
でもでも、ダメなものはダメよ。本当にすみませんでした!
学生期…背伸びしたくてたまらない、無謀な選書
そんな悪友兼戦友とも道が分かれ、史学科生として学ぶようになった学生期。
この頃はレポートにかこつけて、身の丈に合わないような学術書もガンガン読んでいくようになりました。
今思うと「ねぇ本当に理解してる…?」と首を傾げたくなるような選書ですが、当時の私は「史学生ですから、こ、これぐらいはね…!(冷や汗)」と完全にイキっていたレパートリーでした。
お、おもしろくなさそ…いや違う、身の丈に合わなさそう~~~!
実際に課題で必要だった本でもあるので仕方ないのですが、にしても、もう少し自分に合った内容のものを見つけられなかったのか…
そんな無謀な選書に付き合わされたのが、前述で紹介した近所の中型書店さん。
店員さん「えーと…この(いかにも利用性なさそうな高価な学術書)本、注文されるんですか?(汗)」
イキってる私「お、お願いしまーす!(内心こっちも汗)」
そんな会話をしながら、当日お会計する本はしっかり漫画やムック本だからな。そりゃ心配になるわ。
社会人期…二冊の本を手にとりホロホロと泣いた夜
何とか学術書を読み切り無事に卒業した私ですが、一度ここで「近所の本屋さん」とのつきあいが終わります。
旅行会社での新社会人。
私にとって良くも悪くも特別な時期で、このある期間、仕事以外の全ては私のなかで停止しました。
実家を離れ東京で初めての一人暮らし。入社する前からキツイことが分かっていた職種での、さらにキツイ部署。
朝という感覚もなければ夜という感覚もない。仕事の旅先で食べるご飯は美味しいのに「特別な」濃い味付けに舌が拒否反応をおこす。
ずっと眠たいのに、ベッドに入ると明日の仕事が不安で寝付けない。かと思えば、たまの休みに少し寝ようと思った際、土曜の早朝に帰宅してから一度も起きることなく日曜の笑点の時間まで寝続けてしまう。常に風邪っぽく、咳がとまらない…。
異常が迫っていることは分かっていたけど、やっぱり自分のなかで受け入れられなくて、というかそれについて思考する暇も余裕もなく、体が動く限り出勤することに何の疑問も持ちませんでした。完全に思考がオートマチックになっていたのです。
そんなある日の添乗帰り。
いつもは都会の大型書店に立ち寄り、非日常気分で疲れを麻痺させるのが日課だったのですが、その日は何となく「家の近くの小さな本屋さん」に向かいました。
昭和中期からやっているような8畳~10畳ぐらいの激狭なお店で、扱っている本もごく少数。店主も下着姿のような軽装のおじいちゃん。雰囲気はあるのですが、失礼ながら大都会東京で「よく続いてるなぁ」と思っていた本屋さんでした。
そこで久しぶりに購入したのが、学生の頃から追って読んでいた本の続刊。
今は読める状態にはないけれど、とりあえずお守りのように手元に置いておきたいと思って購入したんだと思います。
けれど、家に帰ってその本を書棚に並べたとき手がとまりました。
「あれ、同じ本もう買ってる……」
十七巻、という文字が横隣りになった棚を見て、久しぶりに私のなかで人間らしい色々な思いが去来しました。
(これ新刊なのに…。私、つい最近の記憶もないの?)
(表紙デザインは似てるけど、カラーはいつも違うからそれを予想して買ってたのにそれも気づかなかった…)
(何より、大好きな本を買い間違えたことなんて今まで一度も無かったのに…)
自分でも目の前のことがどこか信じられなった。
何でもないような事かもしれないけど、やはり「買った記憶が一切ない」という事実にはたじろいでしまい、そんな馬鹿なと半信半疑でしばらくその棚を見つめます。
けれど膝をついて腕を伸ばし、右手と左手にまったく同じ表紙の二冊が収まったとき、それは一気にきました。
“私、やっぱりどこかおかしくなっているのかもしれない……”
心の中で微かに思ったその瞬間、よく分からない涙が出てきて、その二冊を手にしたまま黙ってホロホロと泣きました。
そこから自分を見つめなおすまで、更には会社を退社するまで、もうしばらくあがくことになるのですが、その期間「小さな近所の本屋さん」は私にとって心の駆け込み寺のような存在になっていきます。
店内に入ると信号機の機会音がだんだんと遠くなり、雑踏から自分の姿を隠してくれる。そんな小さな範囲で自分の居場所を守り、安心したかったのかもしれません。
※話が逸れるので割愛しましたが、添乗業務が負担になったわけではありません。
むしろ添乗はずっと好きで、この仕事があったからこそ普段の内勤業務にも耐えられていました。
そして、現在
その後、転職や結婚、転勤を経て、故郷に戻ってきている現在。
なんと青春期にお世話になった救世主の本屋さんは、二店舗ともバリバリ現役で営業していました。
本屋さんにとって困難な時代のなか、しっかりと時を読みオシャレに、シンプルに、さらに居心地よくなって。帰郷したとき、この事実がどれだけ心強かったことか。
私にとって本とは、笑いと喜び、恐怖と悲しみ、希望と絶望、そのほか様々な知識や感情を呼び起こし、そしてそれらは現実の社会とどうつながっているのかを学ばせてくれる存在です。
それが最近、同じく「本屋さん」も、笑い、学び、悲しみを呼び起こしてくれる存在だったのだと気づくようになりました。
とくに自分の生活範囲の一部である「近所の本屋さん」は、その土地での自分のコンディションから息遣いまで、多くの記憶と思い出が刻み込まれた特別な場所。
これまでに旅先で、または都会で、たくさんの書店に足を運んだけれど、やっぱり自分の心にあるのは、その時をともにした「近所の本屋さん」なんです。
つらい記憶も楽しい気分も、それは結局自分だけの感情(もの)なのだけど、それを目に見えない形でいつの間にか共有してくれた。肩の荷を軽くしてくれていた。
これからも私はその時その時の思いを勝手に「近所の本屋さん」へ宿していくのだろうと思います。
そんな私の書棚には、今でも『水滸伝 十七巻』が二冊仲良く並んでいます。
目に見えないはずの本屋さんとの繋がりがちゃんとした形で残っている、最初の意味とは異なる「お守り」のような大切な記憶を宿した本です。
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❇︎❇︎おまけ 読書のお供❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
PENTATONIXのメンバースコット、久しぶりのソロ曲。
▶Scott Hoying - Mars
宇宙≒普遍の愛を彷彿とさせる、感動的なSFストーリーに合いそうですよね。パートナーへの気持ちを美しい歌詞で表現してます。
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ここまでお読みいただきありがとうございました!
今後もインドア趣味を中心に、楽しいことや学べることについて書いていきたいと思いますので、お時間があるときにおつきあい頂ければ嬉しいです♡
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