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インドア趣味人間が音楽/歴史/書評/映画/旅/時事問題などについてひっそり書いていくブログ

嘲笑される人生

 

ここ一週間、気持ちの忙しい日々が続いた。

大好きなKARAが再結成するという嬉しい報せの一方で、ロシアの一部動員令が敷かれるなど、なかなかに気持ちの振れ幅が大きい日々だった。

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とは言え、その振れ幅で周囲に心配をかけないようひた隠しにすれば尚の事、それらによる息切れは何かの沈殿物みたいに気持ちの底にたまってしまい、今でもちょっとばかり心が晴れない。

 

そんな私の心に最も絡みついているものが、ウクライナ兵によるロシア兵のエピソードだ。

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念のため、予備役動員前のニュースになります。

動員前だろうと後だろうとロシア人にも様々な考えがあり、自ら軍務についている人、つかざるをえない人がいると思いますが、今回書きたかったことはロシア人個人の思いやその人がどんな信条で生きているかより、誰か一人の人生とほかの誰かの人生を俯瞰で見た対比のような感覚で読んでいただけると幸いです。

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ウクライナ兵によると、攻めてきたロシア兵が電子レンジを指し「この金庫のパスワードを教えろ」と大真面目にまくし立てたらしい。

これにはインタビューを受けているウクライナ兵も、インタビューで通訳しているウクライナ女性も苦笑してしまっていた。

 

このエピソード自体に思うことがあるかと言えば少し違う。

確かソ連第二次世界大戦でも似たようなエピソードが残っていて、敵地の水道の蛇口を引っこ抜いて奪った、なんて話を聞いたことがある。

ただこれは、西側がソ連を見下すためのエピソードだった一面もあると思うし、歴史から見ても使い古されているテンプレ化した表現だったりする。(ただ今回の侵攻の初期段階でもこれに似た話はあった。)

それに、ウクライナとしては嘲笑せずにはいられないことをされているわけだし、苦笑したり、せめて笑い話にするほかないというのも当然だと思う。

怒りを越えた呆れのようなものが込み上げてくるだろうし、そうでもしないと生きていけない現実を、彼らこそが一方的に私たち世界から押しつけられてもいる。

もし私がウクライナ市民だとして多くの家族や友人をロシア兵に殺されていたら、テレビでは映せないような罵詈雑言でその兵士を罵るか、悲しみと絶望でロシアに関することは一言も話さなくなるかもしれない。

というか、この現状を招いた世界ごと呪うと思う。実際にそうなってみないと分からないけれど。

ただ、事実として現在の私は日本にいて、遠く離れた安全圏にいる立場からしか全てのニュースを受け取れないわけで、そんな立場でこのニュースを見たとき、何とも言えない虚しさのようなものを感じてしまったのも事実だ。

 

私はそのロシア兵を哀れだと思った。

もちろん、この哀れみは「同情」ではない。

ロシアというある意味で「大国」にいながら、人生でトイレや電子レンジを見たことがなく、明日のささやかな生活のためにわざわざ敵地に出向き、他人の命を奪う。そのためには自分の命までもを簡単に賭けてしまえる。

それら全てのことはおそらく彼のなかでは自然に繋がっていて、イコールの関係にもなっていると思う。

命を疎かにする事と明日の糧を天秤にかけるしかないこと。そんな彼の環境やこれまで彼を育んできたであろう精神性そのものに対しひどく哀れみを感じ、なぜか隙間風のようなものまで心のなかには吹いてしまった。

この感情のでどころはロシア兵個人の性格や戦争での振舞いには起因しない。彼がどんな人間だろうと、その兵士ごと覆っている「膜」のようなものに対して、私は心底哀れみを感じたのだ。

ちなみに電子レンジやトイレを見知っていることが幸せの優位性にあるという話でもない。

近代の文化を手にしなくても、人として人を愛し幸せな人生を歩める人はこの地球上にたくさんいるし、文化は優劣で判断できないからこそ文化であってそこに価値が宿っているのだから。

 

ただ、そんな人たちとこのロシア兵の決定的な違いは、人生や命に対しての「豊かさ」を享受してこなかった、もしくは教えられなかったことだと思う。

それは家庭環境だったり、教育水準であったり、貧困の格差だったりと、様々な背景からくるものだと思うが、結局は自分のことを大切にするという考えにいきつかなければ、他者を大切にするという発想にはいきつかない。

人は誰だって、大切にされてきたから、大切にしようと思う。人にも物にも。

 

その一方で、その日暮らしのために銃をもち人を殺す=金になるという構図も、悲しいほど簡単に成立してしまう。

ロシア兵にとってはこれが現実というだけで、彼のなかではこれが人生そのものなんだろう。私たちが何かを趣味にして生きがいとしたり、誰かと何かを楽しむことでその日一日に充足感を覚えるように。その構図のなかでごくごく自然に、彼の時は流れていくのかもしれない。

そして私たちに恐れられ、嘲笑される。

 



攻撃される人生と攻撃をしかける人生。

嘲笑う人生と嘲笑われる人生。

同じ一人の人生のはずなのに。

 

今回の動員にも色々な背景や現実的な問題があって、すべてのことがニュースの額面どおりには受け取れないのだと改めて思う。

そんな報道を見るたびに、どうしてこうなってしまったのかという疑問を口に出さずにはいられない。もちろん、その答えは分かりきっているのだが。

 

今すぐに解決はできないけれど、こんな酷い状態を避けるにはやはり一人一人が政治に関心を持ち続け、自分たちの権利や自由を守りきらなければならないのだと切に思う。

 

そして、月並みな言葉だが「外に敵を見出す人間の声は聞かない」に限る。

私たちはどの国も完璧なんかではなく、それぞれの国にたくさんの問題がある。そしてその問題の答えは外よりも中にあることの方が多い。その問題を国民と一緒に是正していこうとする政治家の話に耳を傾けるべきだ。

政治家がノーダメージというのはもちろん論外だが、国民に何の負担もかけず…という甘言も、程度によるが根本的には間違っていると思う。この点はそのダメージがきちんと必要かそうでないかをジャッジできるよう、私たちがもっと賢くならないといけない

あと、歴史と経済。この三点は基本セットであるべきで、一つでもあきらめ思考停止に陥ってもいけない。

こんなことになってしまっても、子どもが生まれるかぎり私たちはその子たちへ将来の責任があるのだから。

 

今もなお攻撃を受けているウクライナのこと。

自分の手を血で染めたくない人たちのこと。

多くの人の人生一分一秒が、戦争によって振り回され台無しにされていること。

ほんの数分間のことでしたが、一人の哀れなロシア兵の話を聞き胸に去来したことを書き殴った次第です。

 

▶その他の参考動画

権力者や指導者はともかく、市民の声を優先で聴きたいのよこっちは。


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言葉で言わなくとも、しぐさや視線、ちょっとした間で伝わるものはあります。人間のコミュニケーション能力(推し量る力)ってすごい。

 

隣国の混乱も大変なもの。


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ここまでくると、こういう問題にさらされない、または日常的に予想もできない立地の日本という島国の特異性に(よくも悪くも)驚くばかり…。

 

在日ロシア人(ほぼ日本人)とお坊さんの対談。


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私もお花畑で出来ることや、お花畑でしか導き出せない答えはあると思う。

その一方で色んな考えの人(危険思想や権力保持思考の人)もいるわけで、お花畑とリアリズムのバランスは大切にしたい。

というか、この二つこそ互いの持ち味をリスペクトし合うのが重要だよね。リアリズムでなければ命を守れないし、お花畑でなければ希望がもてないのが人間なのでは?

 

支援や寄附はやはり形として見せられると心の「もち」が違う。


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戦争の段階にもよるけれど、意外と折り紙(しかも折ったもの)や目に楽しい布マスクが喜ばれているのを見て、本当にお金も、物も、気持ちも、全部が大切なんだな…としみじみ感じました。

 

反射的に Pete Seeger の代表的な反戦歌『Where Have All the Flowers Gone?』を聴いてしまった。

本当に私たち、“いつになったら分かるんだろう”


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ここまでお読みいただきありがとうございました!

今後もインドア趣味を中心に、楽しいことや学べることについて書いていきたいと思いますので、お時間があるときにおつきあい頂ければ嬉しいです♡

 

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